デザイン・ノート
飛びかうメッセージは、バックミンスター・フラーの「テンセグリティ」概念から発想されたアモーダル(特定のモードや形態にとどまらない)なパターンを形成しており、設置されたサーチライトのすべてのノード上にインフォメーションを配信することを試みています。
終わりなくさまよい続けるメッセージは、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの文学作品に見られる迷宮的循環や、おみくじを願かけで結ぶ日本の伝統から発想されています。
テキスト・メッセージの光の点滅へのコード化は、毎秒日本語2文字、ローマ字4文字というひじょうに遅いものです。しかしこの「遅さ」こそが、逆にこの作品の魅力といえます。光の点滅は、(文字内容は判別できないものの)肉眼で見ることができるリズムと速度を持っています。ここで見ることができるのは、ストーリーではなく、メッセージの密度なのです。「効率的」な情報の転送が目的なら、毎秒1.5ギガバイトのデータを転送可能なレーザー光線が適しているでしょう。しかしそのように効率を追求する必要はあるのでしょうか。このプロジェクトはコミュニケーションについてのものではなく、関係性についてのものであり、コミュニケーションを都市のレベルへと、またそれを感知できるものへと減速していく試みといえるのです。
メッセージは公共的なものであり、誰もが読むことができます―たとえ誰か特定の人に宛てられたものだとしても。2人の人が互いにメッセージを送信した場合、メッセージはそれぞれの元に届かないかもしれないという複雑な状態で浮遊しています。送信と受信の中間にあるこの第三の状態は、力強く詩的に飛びかう光線間のギャップといえるでしょう。
ライトの光はそれ自体メッセージを転送するための乗り物といえます。山口の街から見える現象は、サーチライトがベクトルを形成していく「光のスイッチ」の循環です。もしも誰もメッセージをキャッチしない場合、メッセージは山口の上空に無限に漂い続けます。また誰もメッセージを送信して参加しない場合、光は消え暗闇になります。
プロジェクトでは、現場でのサーチライトの動きの幅を測定することで、光がスイッチ・ノード(送信相手の光)のみに当たるようになっています。近隣の建物や人々、山に住む鳥たちを妨害することはありません。
この光のインスタレーションを体験していただくのに一番おすすめしたいのは、サーチライトの内側、飛びかう光の下に入っていただくことです。光はひじょうに低く飛びかうことで、皆さんの頭上に非物質的な「屋根」を形成するでしょう。重要なのは、この作品には特権的なVIP待遇の場所が存在しないことです。完全な視点や主観的な視点を誰も持つことがなく、その一部しか視野に入れることはできません。
このプロジェクトは、携帯電話が普及し、それぞれが携帯を通じてメッセージを送受信しコミュニケーションする日本の状況に注目しています。携帯電話によって、人々は空を飛びかう光を好きな場所に移動し眺めながら、メッセージを送受信しプロジェクトに参加することができます。携帯電話やサイトに設置されたローカル端末によって、人々が「アモーダル・サスペンション」に参加していくことは、このプロジェクトが受動的に体験するショーではなく、人々が関わることで成立し、そしてその複雑さを取り込んだ公共的な介入であることを意味しています。
ここにはカタルシス(浄化体験)も、なんらかの構築も物語性もありません…この作品は、音と光によるスペクタクルというよりも、公共空間に置かれた噴水にたとえることができるでしょう。
メッセージの結び目、情報の織物、空中でのメッセージのサスペンション、アトモスフェリック・フォトスフェリック(大気中の・光に覆われた環境)、オープン、参加型の、ポストカード、ノンリニア、非物語性、テンショナル・インテグリティ(張力による整合性)、メッセージ・タービュランス(メッセージの乱気流)、インターセプション(メッセージの横取り)、アザーセプション(他者による知覚).
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